しわけにもマケズ


先月、急遽日本にかえって受けたガクシンの結果がネットに出ていているといううわさを聞いたので、早速チェックしたところ”サイヨウナイテイ”だった。
事業仕分けやらでいろいろと悪い状況を聞きながら受けてきた面接しかも時間以内に発表が終わらず、ガクシンの人に怖い顔で注意受けたけど通ってしまって奇跡としか言いようがない。
仕分けにもマケズ、日本ではいろんな人にお世話になりつつ、日本語を訂正してもらったりポスターの文字を削ったり、増やしたりしつつ完成させていきました。
これで、来年度からも自由な研究を続けて行くことができそうです。感謝。

せんしゅうはずっと学会でした。
私がすんでいる街で行われた学会だったので移動しなくてよかったんだけど、自動車で街の中にあるコンベンションセンターにでかけ、駐車場をみつけて夜は、みなさんと一緒に食べ飲み歩きをして街の外れにある自分のうちまで帰ってくるという段取りをするのは非常に疲れるものでした。
私だけがこんな風に思っているのかと思っていたら私の同僚やボスも同じように感じていたらしい。特に私のボスは欧州と米国から3人もゲストをお世話していて本当に大変そうだった。食事の場所とか研究室の見学やら。。。学会はやっぱりどこか違う街で学会会場に近い場所に滞在して、お客さんっぽいのがいいんだなあと思った。

それにしても、オーストラリアからの研究者は蒼々たるメンバーでビビッテいたいたけれどもいろいろと話ができてよかった。しかもその下でポスドクをやっている日本人研究者にも会えていろんな話ができたのはかなり収穫だった。一人はかなり近い研究をやっているし。来年度は何か日本で一緒にやりましょーという話になったけど、あちらは優秀な方なので私の脳みそが追いつけるかどうか。

これからクリスマスストレスが始まります。というかもう今週末から既にパーティシーズンに突入しました。しかも私のボスが去るので毎日暴飲暴食が続いてます。。。

10月の終わりに日本に帰り、京の都で欧州人などを接待しつつ、会議などに出席していました。
その後、NZに戻ったその2日後に、クライストチャーチの我が家へ独国から“おともだち”のGちゃんが遊びにきて、Mちゃんたちと共にNZの南西の本当に地の果てにて山歩きをしました。Mちゃんの友達のスイス人のMちゃんも加わってかなり珍道中でした。3晩山の中で共に過ごしました。国籍不明な感じなパーティでした。思ったよりかなり山道が整っており迷いようのないルートでした。しかし、一日のうちに晴れたり、雨だったり、みぞれだったりそして雪まで降ってさすが地の果て、という天候でした。ちなみに南半球は11月上旬は春のはずです。NZは今年度で離れることが決定しているので既に“思い出つくりモード”に入っています。Gちゃんが遊びに来ていたので、一人では絶対にしないであろうヨットセーリングなどもしたり。いろいろと遊びに行けてよかったです。
まだ3月まで遊びモードです。

が、今週からはいきなり現実に引き戻された感じです。来年のための“奨学金”みたいなものの面接が行われることになり、現在、急遽日本に帰国しているのですが、その面接の準備がいい加減だったために、4分でプレゼンをしなければならなかったところを時間オーバーで、時間切れの合図の“ちーん”の音が聞こえずかなり時間オーバーでした。痛い出来事で一気に現実に戻ってきた感じがしています。まあ、あとは祈るばかりです。


夜はベルリンフィルアンサンブルとフジコヘミングのコンサートに東京オペラシティに行ってきました。フジコのつづりはFUZJKOと書くそうです。独国に想いを馳せつつ夜は過去を振り返りました。フジコさんも独国に留学しており、そこで聴力を失ったということで、その絶望たるや如何ほどであったのだろうかなどと考えておりました。


明日からさらに現実、NZへ戻りますが、学会が始まるのです。

日本の科研費申請に今まで巻き込まれたことはなかったが、今回ある方の提案で科研費申請に参加することになった。私の学振のネタの一部もこの科研に盛り込まれるのだけれども、まず日本に在住していない私には申請資格がないのである先生が代表として書くことになった、という経緯がある。

オーストラリアの人たちとの共同研究となるということで、オーストラリアに異動する私のボス、そしてその周辺の人々も協力研究者として彼らの名前を連携協力者として申請することになった。そして先日代表のその先生からメイルで申請書に書く個人の情報を送ってくれるように頼まれた。一番驚愕だったのは、年齢を書かなければならないことだった。そして私のボスとオーストラリアにいる人々に、その申請書の提出のために年齢の情報を教えてほしいと依頼したところ、凄いリアクションの返事が返ってきた。勿論教えてくれたが、私のボスも含め、非常に怪訝な顔をして、“どうして研究費を取ってくるのに年齢が必要なのか?”と執拗に聞かれた、“若すぎると駄目なのかそれとも歳を取ってたら不利なの?”という風に非常に面白い質問があったけれども、私にもなぞである。
ヨーロッパで幾つか旅費グラントなどの申請書を書いたが年齢ではなくPhDの何年目とか、学位をとって何年目だとかの情報のほうが重要だったなーとふと思い出した。日本は男女共同参画事業だけじゃなくて、年齢による差別なども高齢化社会に向けてやらないといけないんじゃないかと考えたりもした。

日本人の私でさえ、科研費の申請に年齢がそんなに重要なのか、と驚愕する一件でした。

オタゴ大学にてサバティカルをしているワイオミングから来た準教授が今週から2週間ほど滞在している。実は、PhDを終える時に彼のラボの隣の研究室でポスドクの募集があり、応募しようと思ったが、場所がワイオミングであったし、研究室のポスドク(スペイン人、オレゴン州に滞在経験あり)に相談したら、ワイオミングに結婚せずに一人でいくのは大変だと思うよ。その辺の唯一のアトラクションはWalmartだから、とGoogle mapを見ながら教えてくれた。まー、これは昔の話だが、行かなくてよかった、と今でも思っている。

今日はそのサバティカルアメリカ人のセミナーだったが、非常に面白い話を聞けた。私がぼんやりと考えていたことを彼は既にやろうとしている。具体的なヒントを貰うことができた。この研究分野の“流れ”にかなりのっとっているので誰もが思いつくような計画だが、具体的に協力研究者をみつけて実行するのに時間がかかるはずだ。それでも、実行に移すのに躊躇いもなく、やってしまうアメリカ人のいいところだ、と私は思っている。

私のこの研究室でのプロジェクトのひとつに非常に関係していたので、彼も私の持っているデータに非常に興味を持ってくれた。データやネタを公開することに非常に神経質になる信用の置けない人間もいるが、伝統のある研究室の研究者は世界中どこでも繋がっている。誰もが友達の友達とか、同じ研究室出身であるなどである。そんな研究者間の情報交換はほとんどパブリッシュされていないものまで公開しているが、かなり信用商売である。しかもデータや情報を公開することで新たなインプットがあったり、協同研究が始まったりする、という点でよいこともある。

ニュージーランドの梟、Moreporkの調査に同行した。NZでは先週末は標高の高い場所でヘビースノー警告が出たりして、調査ができるかどうかわからなかったけど、クライストチャーチから峠を超えた西側は雪もなかったし、晴天だった。
梟なのでもちろん夜の森の中に入る調査だった。一日目は二人一組で森に入ったけど、二日目は人手不足で一人で森に入ることになった。PhDをやっているときに森から空気を採取するときにどうしても夜中に行くという作業を1年間続けたことがあるが、その森は自動車で入れる場所であまり樹の生えている密度も高くなかった。が、今回は梟のすむ森、もちろん深い森でなくては梟ちゃんは住むことができない。そんな森をしかも歩いて調査をしないといけない場所だった。

結果は美しい土ボタル(Glow worm)の光でさえ恐怖をそそる瞬間があったりしてかなりスリリングな夜の森歩きでした。でも、初めて、“動く”ポッサムが樹に登り、南極ブナの葉っぱを食べているところも見ることができたし、Moreporkそのものを見ることはできなかったけど、Moreporkの声を忙しく数えないといけないほどMoreporkを聞くことができた。もちろん土ボタルも美しかった。

そして、極めつけの顛末は、調査終了後、トラックのスタートポイントに戻ったら、こんな時間(23時頃)に誰もいるはずもない真っ暗な場所から人間と思われる鼻歌と獣が咳払いをするような音が聞こえてきてしまって、かなり恐怖に陥った。私の気配を消そうと思い、森に引き返そうかと思った瞬間に焚き火の火が見えて、どうやら人間がいることが分かり安心したけど、怖い人たちだったら嫌だなーと思い、近寄らないようにしていた。そうしたら、人が一人私の方に近寄ってきて、“何してるの?”と聞いてきた。おそるおそるみるとかわいらしい10台後半くらいの女の子だった。
緊張気味で“えーっと友達が自動車で迎えにくるのを待ってるの”23時、自然保護地域にあるトレッキングコースに超軽装備のアジア人女性、しかもこの時間に“友達が迎えにくる”と言い張っている不審な人間を疑いもせず、焚き火に誘ってくれた。。。そして小一時間程度彼女と焚き火の前でお話をしていたら、迎えがやってきて一安心。でもその女の子賢い子でNZ人なのにあまり奇妙な訛りのないしゃべりをする子だった。ちなみに彼女は16歳でこれまでずっとお母さんに、ホームスクーリングを受けているらしい。。。

とりあえず、獣にも人間にも襲われることもなく(まーNZには元々哺乳類いないし、蛇もいない)、無事に修了しました。ということで非常な体験をして面白かった

サバティカルクライストチャーチにやってきている花の雄しべの形態と動物の相互作用が専門のBarettさんという人がArt Galleryでパブリックレクチャーを行ったので聞きにいった。私の所属する研究所にも来るということだったけれども、より専門的なセミナーになるということだったので、パブリックレクチャーのほうが面白そうだったのでそっちのほうへ行った。

花(というか雄しべ)の形態の進化ということで、19世紀のダーウィンのビーグル号の探検や自宅の庭での実験から始まって、最後は彼の研究室のポスドクが今年出版したNature論文まで時系列にどうつながっているのかという流れがつかめる非常にわかりやすいプレゼンだった。今では世界中の人たちが先駆者のダーウィンなどの精神を受け継いで古典的な問題について手法を変え、材料を変え、脈々と受け継ぎ、この世界のしくみをしるために人間は小さなステップを踏みながらもがいているのだなあと思った。そして、科学をやるにも、その歴史をしることや、時系列を組み込んで考えることがやはり必要だとふと考えた。そうでないと“二度目の車輪の発明”になりかねない。

ダーウィンだって変な論文書いていたりするし、間違った仮説を立てたり、メンデルに負けてたりするんだ、と改めて彼の人間臭さを知ることができたし、改めて面白い仮説を立てることや、具体的でビッグな問題を持ち続けることが研究の動機付けにつながるのだ、と思いだしたのでした。
こうやって、分かりやすく、しかも最前線で現役の研究者である人のレクチャーを聴いて、脳みそがリフレッシュされたのでした。あとはやっぱり花というトピックはやはり人を惹きつけるものがある。

最近は自分の研究を進化や多様性と結びつけることができないかと模索中(というか妄想中)だったのでかなりヒットなレクチャーだったのでした。