私が関わっているプロジェクトのPIの教授からメイルがくる。
論文の添付ファイルとともに。
なんと彼は去年論文を書いていたらしい。私はその共著者だったらしい。何も知らされていなかったが、うちの指導教官は知っていたらしく、一部私の取ったデータを渡していたらしい。
“業績”というものが増えるのでうれしいので、良いことかもしれない。けれどもこの雑誌、国際誌なのだが、フランスの気象屋さんたちのグループが作った雑誌で、彼の書いた論文はフランス語だった。でもインパクトファクターが付いているらしい。
私はこの論文の内容が理解できていない。アブストラクトは英語、フランス語、ドイツ語と3ヶ国語。まさに国際誌というべき雑誌なのか。
そして、おととし彼が参加したイタリアで行われた学会の発表はイタリア語でプロシーディングが書かれていた(私は共著者の一人)。私はこの学会の名称すら正確に理解できているのかどうかも疑わしいほどである。このプロシーディングも私の業績の一部となってしまっている。

この教授は英語嫌いなドイツ人で、フランス語イタリア語が達者である人である。去年は彼がオーガナイズした“国際ワークショップ”は最後まで共通言語が統一されないまま、フランス語、ドイツ語、英語が飛び交うカオスな会議となっていた。
彼の心意気は理解できる。なぜ英語が国際語なのかも私にとっても未だもって不明であるからだ。英語圏の人間の傲慢だ。

研究室のポスドクやらドクターの人たちとこのような話をしていたら、以前、植物考古学の分野の研究をしていたポスドクが、考古学の分野のあるメジャーな雑誌はエスペラント語で書かれているという楽しいお話をしてくれた。

一般的に言われている英語は国際語、研究するなら英語ができなければならないというのは、本当にそうであるのだろうか?