chibigorou2006-04-01

いまさら。自己紹介。


ドイツ南西部、バーデン地方にあるフライブルグという街に住んでいます。近くには山もあり湖もあり遊ぶところがいっぱいです。

2004年の6月から大学にリサーチアシスタントとして雇われ学生をしながら研究をやっているふりをしています。研究は、森林生態系や農業生態系における物質循環です。が、主に植物生理生態学的視点でやっています。
指導教官は、狂人系、カオス系です。かなり頭がいいかもしれないと疑っています。特殊な人間なので(外見も内面も)、このような人間に異国の地で出会えたことをうれしく思っています。

2003年は、スイスの中央部、ルツェルンというカントン(州?)にあるETHドメインの研究所、陸水学研究所の湖沼生態学の研究室に所属して研究インターンをしていました。ボスは自称‘環境微生物学者’で、主に水際(riparian forestや湖の植物群落)の植物の分解過程に関する研究者でした。植物リターに付着するバクテリアや菌の定量化に関する研究の第一人者でした。彼からは、物質循環における新たなる視点を学ばされたと思っています。
このボスの研究グループは多国籍軍でしかも濃い人間が多く、いろいろと研究以外にも学ばされました。本当に面白かった。あのメンバーはあのボスの趣味のコレクションだったに違いないと今になって感じる(自分も含まれている?)。

2003年以前は、日本のある大学の森林水文学系の研究室で、駄目学生として数年間指導教官である教授を悩ませ続け、そしてこっちも悩まされ続けていました。周りの人間には私はこの教授からは‘娘’のようにかわいがられているといわれていましたが、本人達はお互い単に、憎み憎まれな関係だったと思っています。でもあれはお互い、一種の‘愛情表現だった’ということにしている。そして‘可愛い子にも旅をさせよ’ということで、‘研究者にはならないだろう’ということで、推薦書などを書いてもらい、ガラにもなく欧州へとやってきました。

私はこの大学では、直接の指導教官が、学部のころは、‘(自称)生物物理環境学者’だったり‘モデラー’だったり修士でなぜか‘植物生理生態学者’な指導教官につかされ(自ら選択したのではない)たりしたので、それぞれの教官からいろんな視点を与えられました(と感じている)。でも、これが私の悩ましい鬱々学生生活の原因だったのですが(誰もわかってくれないけど分かってくれなくていいんです…。)。いつまでたっても自分が一体何をやっているのか、この研究分野での立ち位置がわからないままダラダラと非生産的な数年を過ごしてしまいました。2002年にあるスケーリングに関するレビュー論文に出会い、ふっと腑に落ちた気になりました。そして、いろんな視点があっていいのだ、と自分を納得させて今日に至るわけです。
そして、今このレビュー論文を書いた著者のグループと一緒に研究をしているというめぐり合わせに感謝しつつ、今までの自分の愚考、愚行を反省しつつ日々を過ごしているところです。
いろいろと自分の人生観や、思想を微調整しつつ、頑固であっても柔軟性を失わないように歳を取りたいとぼんやりと考えている日々です。