日本の大学でお世話になった指導教官である教授にグラントアプリケーションに必要な“評価書”という推薦書に似たものを作成するようにお願いした。いつものごとく、まず自分でドラフトを作って送りつけるという手順を踏んでもいいかどうかお願いした。早速昨日、返事が来たのだけれども、送信時間が日本時間の午前4時とかだった。65歳は老人なのだろうか?
私大でポジションをゲットして未だに教授として労働中なので、“××大学名誉教授”とも“××工業大学教授”という二つの肩書きがあるので、好きなほうで書類を作成していい、と言われるけれども、どっちがいいのだろうか?とつまらないことでしばらく悩む。

あとは、この類の書類を作成するにあたって、いつもいかに自分が駄目学生であったかを痛感する。無生産だとほとんど“事実”として記述できるものがない。
自分でいくら賞賛するに値する事を書こうとしても、アウトプットされた“証拠”が残っていないし、賞賛してもなんだか気分が悪くなるばかりである。自分に蓄積された経験というものや考え方というものを他人に客観的に証明するのは難しい。
そうであるから、論文を書かなければ意味がないのだ、と痛感。